母
連休を利用して、実家のある福岡に帰ってきました。
父は既に他界しており、母が一人で暮らしています。
母も看護師をしていたためか、
私の乳がんの告知も割と冷静に受け止めたように思います。
母のことはどちらかというと、苦手でした。
父がしっかりしていない分、母が働き、夜勤もしていたので
子供としてはあまり母親らしいことをしてもらった記憶はなく、
小さい頃から、母親になるなら、医療者になるべきではないと
漠然と考えていたことがあります。
小学校に着ていく服もちぐはぐで、忘れ物も多く、
学校に持ってくるように言われる教材や物品も
母に伝えようとしても、不在であったり、夜勤明けで寝ていることが多く
いつも不揃いな状態で、
クラスメイトにも引け目を感じるようになりました。
妹を保育所まで迎えに行って
帰ってこない母を、兄と妹と雨の中、玄関を開けて座って母を待っていた日の光景が
今もなぜか忘れられません。
周りの子供達には、いつもお母さんの姿が近くにあるのに
いつも後ろだてのない不安感がずっとありました。
専業主婦のお母さんが羨ましかったー。
なのに、結局母の強い勧めで私も看護師になりました。
父に苦労した母。
怒りっぽくイライラしてお説教が長い。
今でも母の長い話に付き合うのは、正直キツいです。
私が一人目を出産した時、
家に手伝いに来てくれました。
朝、赤ちゃんと目が覚めて一緒に台所に行くと
母が、床の拭き掃除してくれていて、びっくりしました。
家を掃除している母を見たことがなかったからです。
「家におる時に、何にもしてやれんかったけん」
そう言って母は私の家を掃除してくれました。
子供を出産して、母親になって
数年経っても、まだ母の大切さを理解していませんでした。
ホスピスで働くようになり、
いろんな家族との出会いで、ようやく家族の絆やそばにいる人の
存在の大切さを知るようになり、
癌になって、
もしかして、先に
母より先に行くかもしれないと思って初めて
母がいてくれたことを
母という家族がいたことの大切さを
今、わかった気がします。
今朝、福岡は雨が降っています。
雨の中、わざわざ私の朝食だけを買いに
近くのコンビニに行ってくれていました。
膝も悪いのに。
朝食なんて食べなくてもいいと言ったのに
「いいと。ちょっと歩かんと、どんどん歩けんくなるけん。これも練習たい。
朝に買ったサンドイッチやったら、美味しかろ」
確かに美味しかった。
ご馳走さまでした。
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